コンゴの近代史の第2回です。前回はコンゴ王国が奴隷貿易によって国力を落とした後にベルギー王レオポルド2世の私領「コンゴ自由国」となり、非道な収奪で多くの犠牲者が出たことをまとめました。まだご覧になっていない方はこちらよりどうぞ。ベルギー領となったコンゴではナショナリズムの高揚が始まるものの、ベルギーは暫くの間コンゴを手放す気はまったくありませんでした。しかし国際的な時流はアフリカの民族自決に傾いていき、その流れはコンゴにも押し寄せてきます。 コンゴ共和国 République du Congo (国旗) (国章) 国の標語:Unite, Travail, Progres (フランス語: 統一、労働、進歩) 国歌:コンゴの歌 公用語 フランス語 首都 ブラザヴィル 最大の都市 ブラザヴィル 政府 大統領 ドニ・サスヌゲソ 首相(英語版) クレマン・ムアンバ(英語版) 面積 総計 342,000km (62位) 水面積率 0.1% 人口 総計(2012年) 4,200,000人(?? コンゴという名称の付く国は二つあり、旧フランス領の「コンゴ共和国(コンゴ・ブラザヴィル)」と、旧ベルギー領の「コンゴ民主… 近代以降悲劇の歴史が続く大国コンゴ コンゴと聞いて何を思い浮かべ …

ベルギー領コンゴ(ベルギーりょうコンゴ)は、かつて存在したベルギーの植民地。 現在のコンゴ民主共和国を領域とする。 ベルギー国王レオポルド2世が、その私領コンゴ自由国の支配権をベルギー政府に委譲した1908年 11月15日からコンゴ民主共和国が独立する1960年 6月30日まで存在した。

1885年にベルギーの国王、レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」(フランス語: État indépendant du Congo 、1885年 - 1908年)とされた。 「国」となっているが、当時のコンゴは、ベルギー議会の影響も及ばない国王の完全な私有地であった。 コンゴ動乱(コンゴどうらん、フランス語: Crise congolaise 、1960年 - 1965年)は、1960年 6月30日にベルギー領コンゴがコンゴ共和国(コンゴ・レオポルドヴィル、現在のコンゴ民主共和国)として独立した直後に勃発した反乱から始まる混乱である。. ?位) 人口密度 9人/km GDP(自国通貨表示) 合計(2008年) 4兆8,019 CFAフラン GDP(MER) 合計(2008年) 107億 ドル(119位) GDP… フランス領コンゴ (フランス語: Congo français)又は中コンゴ(フランス語: Moyen-Congo)は、フランス第三共和政の植民地。 現在のコンゴ共和国、ガボン、中央アフリカ共和国を領域とした。